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牡丹(ぼたん)

牡丹(ぼたん)

 牡丹(ぼたん)

 エルニーニョ現象のせいで今年は長い梅雨だと聞かされていたが、台風一過であっさりと7月19日に梅雨明けした。久しぶりの青空を賛辞するように白い積乱雲が立ち上っている。まるでスタンディングオーベイションのようだ。散発的だったニイニイゼミの声も、今やそこここで鳴き声を競い合い、夏の到来を盛り上げている。私は、何年か前にひどい風邪をひいて中耳炎を患ってからというもの、冬も春も、昼も夜も蝉の声に似た耳鳴が聞こえている。でもやはり正真正銘本物の蝉の鳴き声は、森の匂いや降り注ぐ夏の日射しを連想させて心地よいものだ。
 7月25日は母の祥月命日だった。あいにく私は缶詰状態のセミナーに出席のため、仏壇の前ではなく、品川のホテルの一室にいる。母が亡くなった日のことは今でも克明に覚えている。臨終の後看護師に赤い紅をさしてもらって、少し若作りの死化粧を施された母と二人、小一時間ほど霊安室で葬儀社の車を待った。音ひとつ聞こえぬ静かな部屋だった。久しぶりにまじまじと母の顔を見た気がした。辛くて長い闘病生活から解放された母は、なんだか息はしていないがすがすがしくさえ見えた。長いこと見つめているとふいにまだうら若き娘の頃の顔に変貌していくような錯覚に陥った。そう言えば母は晩年年齢を訊ねると、失見当識のせいでたいてい19歳だと答えた。彼女が主張したその年齢に帰って行っているのかもしれないと、そんな気がした。同時に急に不安が頭をもたげた。母は私たちの母であった人生を本当に幸せだったと思っていたのだろうかと。
 その答えのヒントは意外なところにあった。昨年叔母の法事があった。叔母は母の長兄の妻で、生前母も「姉さん、姉さん」と呼んでは慕っていた。お斎の席で私があるご高齢の紳士にお酌をしたところ、彼は私の素性を尋ねた。母の名前を告げて自分がその長男だと説明すると、彼は盃に口をつけたままどこか遠くを見るような目をしてひとつ頷いた。それから自分が叔母の12歳離れた弟であると自己紹介して、ひとしきり昔話をしてくれた。その話によると、戦時中、叔母の嫁ぎ先、つまり母の生家があった長野市の大豆島(まめじま)は飛行場があったせいで空襲がひどく、母を含めた女子供は叔母の生家に身を寄せていた時期があると言う。叔母の生家は須坂市の福島(ふくじま)にあった。そこまで母は脳梗塞で寝たきりの実母をリヤカーに乗せて運んで来たそうだ。彼はその颯爽とした姿が印象に残っていると言っていた。母が20歳前後で、彼は12〜13歳だった計算になる。懐古談の締めくくりに、彼は再び遠くを見るような目をして、「あなたのお母さんはまるでダリアのような、そう、大輪の花のような人でしたよ」と言った。
 それを聞いていた対面の初老の男性が合いの手を入れた。彼は母の生家の本家筋に当たるらしいが、世代交代して自分はそのせがれだと名乗った。偶然にも彼は私の父が三陽中学で教鞭をとっていた時の教え子でもあったという。そこへちょうどお酌に回ってきた別の紳士も、自分も教え子の一人だと言った。父は戦後臨時教員で中学生に数学と美術を教えていたらしい。教え子二人の証言では、父は写生と称して生徒をよく大豆島に連れて行ったという。大豆島に住む生徒が多かったので、写生会に必要な水やトイレを借りるのに利便性があったせいかもしれないが、もっとだいじな目的があったと彼らは断言した。「先生の姿が見えないと思うと、何故かきよ江さん(母の名前)の家の縁側でちゃっかりお茶を出してもらって、二人で楽しそうに話していた」という。「まるでデートのようだった」と彼らは懐古した。
 両親という存在は、性別を訊ねられれば男性だ、女性だと答えるが、子の多くはその二人をロマンティシズムとは無縁の、ニュートラルな立ち位置にいるものとしてとらえてしまいがちである。しかし、「大輪の花、ダリア」に例えて若き日の母をある意味憧憬を抱いて見ていてくれた思春期の少年がいたことや、授業を口実に教え子たちを巻き込んでまで密会を断行した若き日の父の情熱を知って、両親の青春、そして恋、私たち一家が線でつながった。私の脳裏で想像していた両親の人生のドラマが、急にセピア色からカラーに変わった気がした。
 法事が終わる時、先ほどの老紳士が帰り際にわざわざ私のところまで近づいて来られてこう言われた。「今日は良い出会いでした。あっ、そうそう。私は先ほどあなたのお母さんをダリアのようなひとと言いましたがあれは誤りでした。そう、『牡丹』です。牡丹のように華やかな人でしたよ。ではまた、ごきげんよう。」正直ダリアと牡丹の花の違いがよくわからなかったが、戦時中少年だったその老紳士の想いが微熱とともに伝わった。そして母をもっと賛辞された気がしてうれしかった。
 僧侶による読経や供物など、何も催さなかった母の祥月命日だったが、こうして母と、母を愛した父を懐古してこの文章を書き、明日東京の菓子を土産に仏壇に供えることで、母も許しくれるのではないかと自分勝手に納得して7月25日はあと数分で終わろうとしている。
(2015年7月25日 品川プリンスホテルの一室にて)
(追補: Google検索にてわかり得た知識。「牡丹」:原産地は中国で、絹のように薄く大きな花びらが幾重にも重なり、まり状にまとまった花姿。花言葉は、「風格」「富貴」「恥じらい」「人見知り」、西洋でのLanguage of flowers(英語版花言葉)は「bashfulness(恥じらい、はにかみ)」「compassion(思いやり)」。ボタンとシャクヤク:ともにボタン科ボタン属で花はよく似ている。ボタンが樹木であるのに対して、シャクヤクは草本でやや小ぶり。女性の美しさを形容する言葉として「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」があるが、これは、シャクヤクが長い茎の先端に花をつけるのに対して、ボタンは葉の上に座っているかのように咲くことにちなんでいるとのこと。)

2015-08-01 14:15:15

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