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院長エッセイ

長野市稲里町田牧 の 脳神経外科・神経内科 脳とからだの くらしまクリニック

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元気な家

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 先代の愛犬は散歩に出たときにしかpeeとpoo(ピーとプー、おしっことうんち)をしなかったので、晩年からだが不自由になって介護が必要になってからは、雨の日も風の日も雪の日も、日夜6時間毎に抱っこして外に連れ出さなくてはならず苦労した。特に妻が苦労した。だから今の子には幼犬の時から徹底的に屋内の犬用トイレで用を足すようしつけて、実際のところとてもうまくいっていた。しかし、14歳の老犬になったある日、彼は軸足が関節症で痛かったのか、いつもと反対の足を上げてpeeをしたものだからトイレとは反対のあらぬ方向の床に飛散してしまった。その時についつい叱りつけてしまったのがいけなかったのか、以来彼は反旗を翻したように屋内では一切用足ししなくなった。 
 だからここ1年程、前の愛犬の時と同様、雨の日も風の日も雪の日も、朝に昼に晩にと愛犬のpeeとpooのための散歩に出る羽目になってしまった。夜の散歩はたいてい22時から0時位が通例で、コースは2つある。1つは仕事を終えて帰宅する際に鎮守神の広田神社にお参りしつつクリニックの周囲を一周するコース。2つ目は自宅近所のコースで、150mほど離れたJ銀行のあたりまで行って帰ってくるコースだ。クリニック周囲は人家がまばらな田畑なので、夜空がきれいで満天の星を見上げながら季節感あふれる気持ちよい散歩ができる。自宅近所のコースは密集した家が建ち並ぶ住宅地の中である。さぞかし温かで賑やかな光景と思いきや、すでに寝静まって灯りが消えている家屋が多く、家の形の黒いシルエットだけが闇に沈んでいる。住人が高齢になって居なくなった空き家もちらほらと混じる。それらはまるでスイッチを切られた仕掛けおもちゃのように冷ややかで静かだ。特に月のない曇り空や木枯らしが吹いている冬の夜に疲労困憊した人間二人と老犬一匹がとぼとぼと歩いているとゴーストタウンにいるかのようで、世間の営みや時間から置き去りにされているような寒々とした寂寞感に侵される。
 しかしそんな沈殿した夜景の中で燦然(さんぜん)と輝く一軒の家がある。折り返し点のJ銀行から畑越しに臨める住宅群の一番奥にある民家で、こちらから見える二平面だけで大小合わせて11個もの窓があり、それらの全部の窓が煌々と灯りが点っている。窓の多さもさることながら、夜も更けてなおほとんど全ての窓に灯りが点っている家は類を見ない。何人家族なんだろうか? 二世帯住宅だろうか? いや、高齢の方はこの時間は起きていないだろう。勉強好きの子がたくさんいるのだろうか? などと想いを巡らせて見ているうちにこちらの気持ちが何やら楽しく明るい方へとシフトしてくる。最初は不思議に思って興味本位で見ていたが、しだいにこの家の灯りを見るとエネルギーをもらえるような気がして、夜の散歩の楽しみになった。
 灯りに満ちたこの家を見ていると何故か愛着とノスタルジアを覚えてしまうのは、自分の幼かった頃の近所の光景を思い出すからだろう。当時は子だくさんの家が多かったし、三世代四世代が同居するのは珍しくなかった。また、エコロジーの概念も乏しかったので、夜ともなればどの家もどの窓も明るかった。戦後生まれ変わった日本が、まだ成長期だった時代である。木々で言えばまだ若葉の頃である。しかし三千年紀(西暦2000年〜)に入って、日本は成熟した代わりに若々しさや無鉄砲なほどの力強さや熱さは影をひそめた。個人の生き方の自由度の高さとプライバシーが尊重されるようになり、その反面で人はみなある意味わがままで冷ややかになった。そうした流れの中で核家族化と少子化が進み、多世代同居の賑やかな家は希少なものとなった。世代を継承しない家はその住人が老化すれば共に老化し、街も合わせて加齢が進行する。街の年齢は夜の灯りの充実度に比例するように思われることから、私の住むこの一画は人の生涯で言えばさしずめ五十歳は越えた頃だろうか。
 今夜も23時を回った。深夜にもよおすといけないので、かわいそうだが熟睡している愛犬を起こしてpeeとpooに連れ出す。さて、今夜もあの元気な家の灯りを見れるだろうか。
(2017年5月)
※イラスト:クリスチャン・ラッセン作 Lahaina Starlight Ⅱ
               制作:くらしまクリニック
 

2017-05-09 00:00:50

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