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院長エッセイ

長野市稲里町田牧 の 脳神経外科・神経内科 脳とからだの くらしまクリニック

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鳩時計

鳩時計

 五月が来た。こよなく愛する季節。空はライトブルー。瑞々しい青だ。色の図鑑で探してみると、「勿忘草(わすれなぐさ)色」が最も近いように思える。花の色から由来するらしいが、潤いのある明るい青だ。古代中国の五行説では、四季にそれぞれ色が当てられ、春には青を当てられたという。人生を四季に当てはめると、夢や希望に満ちて活力みなぎる若い時代が春であり、これが「青春」という言葉の語源になったようだ。久しぶりに晴れ晴れとした気持ちよい日なので、冬の間、果物や野菜のコンテナ置き場と化していたウッドデッキを片付けて、本日オープンとした。
 つい一月ほど前まで裸ん坊で、寒風に耐えるべく冬仕様の鎧みたいな木肌を纏っていた庭の木々は、早変わりで生気みなぎる緑のワンピースに衣替えした。隙間ないほどに茂った若い葉をすり抜けてくる風は、五割の夏と、二割の春、そして三割の梅雨の予感が混ざっている。頬に気持ちよい。
 庭木の中でもみじは新築祝いに中学の同級生がプレゼントしてくれたものだ。成木の状態で移植されたので、庭木の中では一番の年長だ。その権威を傘にきているわけではないだろうが、例年領域なく枝葉を伸ばして隣の木々を圧倒する。今年もしかりで、ウッドデッキの居住空間まで枝葉がひゅんひゅんと伸び出している。そろそろトリミングが必要そうだ。そんな思いで根元から先まで目線でスキャンしていると、屋根と柱が交叉するあたりの暗がりの部分に鳥の巣らしきものがあることに気がついた。こっそり覗き込もうと顔を近づけたとたん大きな羽音と共に予想外に大きめの鳥が不意に現れ、たちまちどこかに飛び去った。巣の中には2個の白い卵が確認できた。親鳥はと探すと一番近くの電信柱のてっぺんにキジバト止まっていて、こちらを心配そうにうかがっていた。早々にウッドデッキから引き上げて、こっそりカーテンの隙間から観察していたところ、親鳥が巣に戻って来て再び卵を抱くのが確認できた。
 それにしても、よくぞこんな小さなわが家の庭木を、巣の設営場所として選んでくれたものだ。付近にはちょっとした森みたいな木々を擁した広い敷地の邸宅も散在するというのに。なんともうれしいやら誇らしいやら。
 翌朝からカーテンの隙間から巣を観察するのが私の日課になった。時々親鳥と眼が合ったが、警戒の眼差しは緩めないものの毅然とこちらを見返し、逃げ去る気配はなかった。通常キジバトは抱卵も子育ても雌雄一対が交代で行うという。交代の瞬間一時的に親鳥が不在となるので、その時が巣を観察するチャンスとなるという。ある朝親鳥の姿が見えなかったので、そっと近づいて手を伸ばしてスマホで巣の中をビデオ撮影してみた。すると何と巣の中には2羽の雛が誕生していた。黄色の柔い羽が風に揺れて、まだその身の一部が卵の黄身のままなのではないかと錯覚してしまうほど何とも無防備で脆弱な生き物がかすかに動いていた。にわかに芽生えて膨らむ親心。もっと見守っていたいと後ろ髪を引かれながら出勤した。ようやく仕事を終えて夜遅くに帰宅して、風にそよぐ枝葉越しに巣を守る親鳥のシルエットを確認できた時は胸をなで下ろした。
 キジバトはひな鳥を育てる際、雌雄とも「ピジョンミルク」と呼ばれる文字通りミルクのように真っ白な液体栄養素を、「そのう」という器官で作って、それをえさ代わりに与えるのだそうだ。栄養豊富なピジョンミルクを飲もうと複数の雛が親鳥の口の中にくちばしを突っ込んでむさぼる動画をインターネットの観察記録で観た。卵で産んでミルクで育てたり、夫婦二交代性で子育てをするなど、人間よりはるかに効率的で進化した養育のあり方と思われる。そんな微笑ましくも模範的な子育ての姿もやがて垣間見ることができるだろうと期待して、窓越しにそっとお休みを言った。
 それから間もないある朝事件は突然起きた。巣には親鳥の姿がなかった。交代時間なのだろうか。これはシャッターチャンスとばかりにスマホを携えて巣に近づいた。ところがそこに雛は1羽もいなかった。巣立ちには二週間余りかかるそうだから時期的にはまだ早すぎる。何が起きたのだろう。しかしもう出勤時間だ。車に乗り込む際にちょうど一羽の親鳥が戻ってきて、巣がもぬけのからなのを確認してこちらを振り返った。驚きと不審の視線に思えた。私は眼で、「僕たちの仕業ではないんだ。一体何が起きたのか僕たちにもわからない!あの子たちはどこ?」と訴えかけた。無論親鳥はそれには反応することはなく、あきらめたように飛び去った。私たちは鉛を飲み込んでしまったように重たい気持ちで家を離れた。
 それから数日間、もしやひょっこり親鳥が雛をくわえて巣に戻ってくるのではないかと未練がましく巣の観察をしていたが、住人の居ない空き家は風雨にそぎ取られてぱらぱらと崩れて巣の原型をなくしていった。そしてわが家のもみじは何だか一頃の勢いはなく、やけにこじんまりと葉を纏っている。あの時は巣を隠すためにもみじも懸命だったのかもしれないなどと感傷的な思い込みをしてしまう。折りしも電柱の上で雄のキジバトが鳴き出した。あの時の親鳥の一羽かもしれない。そののんびりしたマイナー調のリピートは曇り空の昼下がりにマッチしていた。梅雨の到来を予感する天然の鳩時計のようでもあった。それを聞きながら、自然の摂理を受け止める寛容さと冷静さは動物の方が一枚上手のようだと感じた。(20018年5月)
 

2018-07-05 21:06:56

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