〒381-2214
長野県長野市稲里町田牧1310-5
026-214-3105

院長エッセイ

長野市稲里町田牧 の 脳神経外科・神経内科 脳とからだの くらしまクリニック

院長エッセイ
English page
求人募集

トップページ»  院長エッセイ»  院長エッセイ»  ヤマトシジミ

ヤマトシジミ

ヤマトシジミ

ヤマトシジミ
  
IMG_4626 (1).jpg 季節外れの台風が、南の夏を連れて日本海を北東へとゆっくり通過していった。連なる高峰(こうほう)に守られた長野盆地にしては、珍しくやや強めの風が吹いて、秋の中盤を謳歌する木々や草花が揺れた。このノスタルジックな夏っぽい風が去ると、今度は打って変わって秋が深まった。久しぶりに晴れ上がった肌寒い昼下がり、車に乗ろうとしたらグレイの羽が折れて変形した小灰蝶(シジミ蝶)が地面に横たわっているのが目に入った。ヤマトシジミだ。そっと羽をつまんで拾い上げるとまだ息があり、羽ばたこうともがいた。8月終わり頃から、出勤時にほぼ毎日飛んで来ていたのに、ここしばらく見かけなかったので何だか懐かしささえ覚えた。
 ちょうどヤマトシジミを気にとめるようになった少し前に愛犬を失った。実によくできたかわいい犬だった。俊敏でよく駆け回る様を見て、義父が「駿」と名付けた。男の子だったので幼犬の頃はやんちゃだったが、成犬になってからは素直で聞き分けがよく、性格がまっすぐで純粋、やきもちをやいたり拗(す)ねたりなど、変に人間ぽいところは一切なく潔(いさぎよ)かった。何よりありがたかったのは同じドッグフードを文句ひとつ言わず毎日喜んで食べたことだった。少々体調不良で元気が今ひとつでも、与えるご飯はいつも完食した。だからすぐに元気になった。どこに行くにも一緒に連れて出かけた。連れて行けない時は、朝から晩まで家を留守にしても、暗い部屋でじっと寝て待っていて、私たちが帰宅すると飛び跳ねて喜ぶ子だった。海外旅行に行く時は友人宅に預けたが、その家にもすぐに馴染んで、我が家の犬のように可愛がっていただいた。物怖じしない子でテレビ出演も3回した。アニマルセラピーで、少し乱暴な子に引っ張り回されても文句ひとつ言わずに従った。生涯で人を噛んだことは一度もなかった。
 クリニックを開院してからは必然終日院長室で過ごした。朝出勤してから診療終了するまでの長い時間をただひたすら院長室で寝て待った。昼時にはクリニックのスタッフからおやつをもらえるのを何よりの楽しみにしていた。院長室の私の机の下がお気に入りで、仕事に区切りがついて院長室に戻ると「ごくろうさん」と云わんばかりにのっそりと出てきたものだった。
 晩年は歩くことが困難で立ち上がることもできなくなった。しかし食欲は落ちることなく、決まって朝はヨーグルトとミルク、昼はスタッフの膝枕でフードを口まで運んでもらい介助されながらほぼ完食した。夜は食べたり食べなかったりであったが、私が栄養不足と判断した際は栄養ゼリーを注射器で口に流し込んであげた。最初多少は抵抗したが、その後はそういうものだと観念したのか、ごくごくと上手にプロテインやビタミンゼリーを嚥下した。そんな寝たきりの老犬になっても駿は実にイケメンで、若い精悍さから転じて丸みを帯びておっとりした愛くるしさへと脱皮したようだった。紛れもないアイドルの座はキープし続けた。
 8月に入って突然痙攣発作が止まらなくなった。原因はわからなかったが、痙攣止めの注射を驚くほど大量に使わないと止まらなかった。人間ならばとうに呼吸が止まっておかしくないと思いながら私は痙攣の度に注射を繰り返した。しかしとうとう恐れていた肺炎を併発した。最後の日は、かねてから自分の定位置だったソファーに力なく横たわり、痰が絡まり呼吸が苦しそうだった。電話で問い合わせたら動物病院で喀痰を吸引してくれるというので、さあ行こうと抱き上げた。抱っこされるのがあまり好きでなかった駿は、抱いた際に身を預けてくることはめったになかったが、その時は駿の顔が私の頬にピタッとくっついた。それが最後の力ない頬ずりだったようで、車のシートに横たえたときにはすでに事切れていた。
 駿が去ってから気違いみたいに暑い日々が続き、心の中の海が枯れていき、底には尖って辛い塩の結晶ができた。悲しさと寂しさは日ごとに募った。心がよれよれのしわだらけになっていた頃、毎朝重い気持ちで玄関を開けると必ず小灰蝶がやってきた。自家用車に乗るまでのほんの十数歩の間に私の周囲を戯れるように舞った。何度か見ているうちに、これは駿の化身ではないかと思うようになった。雨の日以外は本当に会わぬ日がないくらいに蝶はやってきた。駿の化身という直感は確信へと変わった。来る日も来る日も会うたびにエネルギーをもらった。それから雨の日が続いて、台風が来たりで悪天候が続き、やがてメランポジウムは枯れだして、ヤマトシジミに会う機会もめっきり減った。駿の化身に会えないことでまた一層密度を増した寂寞が私たち夫婦をすっぽりと包むようになった。
 ヤマトシジミは羽化してから2週間ほどしか生きないらしいので、私の足元に瀕死の状態で横たわっていた蝶は8月から見ていた蝶と同一ではなく、おそらく何代目かの蝶かもしれない。私の手のひらで最後の力を振り絞ってうごめく蝶を家の中に持ち帰り、手向けたばかりの仏壇の黄色の菊の花弁に乗せてあげた。するとヤマトシジミはシャキッと花弁に留まってとうとう一晩過ごした。しかし翌日には少し元気になったのか菊の花から何度も飛び立とうとして落下した。でも羽は折れて曲がったままだ。その仕草を見ているうちに、今度こそお別れだと蝶が主張しているように思えた。だからヤマトシジミをそっと捕まえ、玄関のメランポジウムのプランターに離してあげた。花は既に枯れて茎が茶筅のように残っている茂みの中へと蝶の姿は消えてついに見えなくなった。 「さようなら駿、ありがとう」と、心の中でつぶやいた。
(20018年10下旬)
 

2018-11-11 22:44:56

院長エッセイ   |  コメント(0)

 

コメント

お名前
URL
コメント
pagetop