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天国の土曜日(This is like heaven) 土曜日の昼下がり。少し量が多かったブランチで満腹。窓の外は朝からずっと雨が静かに休むことなく降り続けている。黙々と寡黙に流れ作業のノルマをこなす労働者の手元を見ているように、庭に水たまりが出来て雨だれの同心円が繰り返し重なり合いながら広がっていく。裸ん坊だった沙羅の木はしたたかにも素早くシーグリーン(海緑色)の柔い肌着を纏い始めている。ハナカイドウはうつむくようなピンクの花を枝いっぱいに擁して、はにかんだ自己主張をしている。妻はソファーでiBookの小説に没頭している。丸山コーヒーのドリップを入れて、神戸の姉が誕生日に送ってくれたマカロンを冷凍庫から取り出し、暇な時間を堪能する。今日は定期休診の土曜日。私にとって「天国の土曜日」である。 診療所を開いた当初は土曜日も午前中診療していた。しかし、診療が終了したからと言ってすぐに帰宅できるわけはないことがほとんどであった。私の場合はひととおり診察した患者さんの診療録を見直して追補・整理して、画像所見も再度見直す作業をするので、どうしても残業が数時間に及ぶ。だから診療は午前のみでも帰宅は暗くなってからであった。患者さんの来院数が増えた今となっては、復習業務は必然膨大となるので、TVのプライムタイム*はとても縁遠いものとなっていった。 こうして夜にしか行動できない生活が何年か続き、私のセロトニンの分泌量は確実に減り、骨も脆くなりかけ、何のことない雪かき作業で肋骨を傷めたりする羽目になった。スタッフたちは元気を装っていたが、疲労がたまってきている側面が垣間見えた。そこで第2,4,5土曜日は終日しっかり働き、第1、3土曜日は終日休診にしてゆっくり休む、メリハリのきいた体制への変更に踏み切った。 思えば、私が医師になって初めて赴任した病院は1400床のマンモス病院で、当時土曜日も17時まで通常診療していた。休みは日曜日と祝日だけであった。気力も体力も充実していた当時のことだから特に不満には思わなかった。そもそも日本には週休の概念はなく、江戸時代には基本的に盆・暮れ・正月とお祭りの日くらいしか休みがない職場がほとんどだったようだ。ユダヤ教の安息日にあたる土曜日、その翌日である日曜日はイエス・キリストが復活した曜日であることからミサが執り行われるのが慣習で、明治に入って欧米との交流がさかんになるとともに日曜日は「休みの日」という概念が日本でも定着していったようである**。一方、週休二日制については、1965年に松下幸之助の号令のもとで松下電器産業(現パナソニック)が始めたそうで、他の企業が導入しはじめたのはそれから15年も後の1980年頃、官公庁に導入されたのはさらに12年遅れの1992年、そして公立小中学校及び高等学校の多くでは2002年に毎週土日が休みになったとのことである***。 それにしても雨は止む気配もなく、水を得た庭の木たちは風呂上がりの子供のようにつやつやしている。窓越しにしっとりと潤んだ景色を見やって、おもむろに内田康夫の推理小説を手に取った。浅見光彦という立場上は穀潰しのフリーライターだが、かなりのイケメンで、犯罪捜査には天才的な能力を持つ探偵が主人公で活躍する旅情ミステリーだ。ストーリーもさることながら、その土地の名所や名物の記載にかなり興味をそそられるのが常である。よく学会で旅行した際には作品に出てきた名所に足を伸ばしたり、名物を食したものである。通常ウィークデーは必要に迫られて医学書ばかりしか読まないので、リラックスした旅先だけのご褒美として推理小説を読んでもいい自分なりの決め事がある。しかしCOVID-19のパンデミックで自粛生活を始めて以来旅はしなくなったので、その単庫本は三分の一ほど読んだあたりで止まったままだった。今日は土曜日、明日も休み、月に2回だけ訪れる「天国の土曜日」だ。だから解禁とばかりに読み始めたが、空白時間が長すぎたのかすっかりあらすじを忘れてしまっていたので、結局最初から読むはめになった。幼い頃から外遊びが好きだった私は、正直雨が大の苦手であったが、こうして「天国の土曜日」にしとしとと人の心の中まで入り込んで来て降る雨は、渇いた心の中の土壌に恵みの雨になっているに違いない。ステイホームは、ある意味、あふれる便利がもたらす刺激と享楽で麻痺してしまった心を、見つめ直して鎮める機会を与えられたものと理解してよいのかもしれない。 *:テレビ・ラジオの視聴率・聴取率が最も高い時間帯。普通19時から22時のことをさす) **:“武将ジャパン”より ***:“Japan Forbes”より
2021-05-23 15:53:51