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真夏の憂鬱と入道雲 真夏の一日の診療が終わった。身も心も疲れて「元気」から遠ざかった人たちがたくさん受診された。合間にCOVID-19 のワクチン接種もした。一筋の日射しも入らぬビルの谷間をひたすら歩いているような、そんな閉ざされた思いを世界中のみんなが感じている。それでも暑くじりじりと焦がすような日射しは何食わぬ顔で地上に放射し続け、夏は普通に過ぎていく。30℃を超えた昼間が終焉に近づき、夕方が来た。一息つこうと窓に近づき恐る恐る開けてみると、案の定熱風が吹き込んできた。6時半とは言え、夏の日は長い。あたりはまだ昼下がりの延長線上。クリニックの正面玄関から出てみると、コンクリートのアプローチ、駐車場のアスファルトが昼間蓄えた太陽熱をムンムンと放熱している。一日中空調の中にどっぷり浸かって身体表面だけ冷え切っていたので、その異様なほどに高温の放射熱が不思議にも一瞬だけ心地よく感じた。しかしそれも束の間、1分もすると玉の汗が吹き出てきた。少年だった頃は空調などなかったので、やはり夏は半端なく暑かった。だが当時の暑さはどこか透明感があったように思う。汗もさらさらで乾いたあとに清涼感が残る汗だった。最近の暑さは、大型トラックやバスのエンジンフードの脇に立った時に味わうような、濁っていて、押しつけられるような圧迫感を伴う暑さのように感ずる。 山並みに眼をやると、はるか上空に沸き立つように背伸びする見事な入道雲がいくつも成長していた。日中の日射しの強さの成果を主張しているようだ。東側の入道雲は強い上昇から既に一転崩れて下降へと変わり、やけに冷たく強めのダウンバーストを吹き付けてきた。窓越しに木々が揺さぶられ、窓ガラスの小刻みな振動が風の強さを伝えてくれる。夕立が来る気配だ。遠くで雷鳴も聞こえ始めた。そう言えば母は雷が大の苦手で、大人げもなく怖がったものだ。だから姉や私が幼かった頃、「雷様さまに臍を取られる」と言うお決まりの迷信を説いて聞かせ、雷鳴が近づくやいなや私たちを巻き込んで押し入れにこもったものだ。エアコンもない部屋の真夏の押し入れで3人身を寄せ合ったわけだが、暑さに閉口すると言うよりは、冒険ごっこみたいな少々のわくわく感と、本気で怖がる母の子供っぽい一面を見て子供ながらにシンパシーを感じたものである。しかしほどなく少年へと成長した私は虫取りと魚釣りに夢中になったので、もう母の押し入れ籠もりには付き合わなくなった。そして、夕立は魚釣りと虫取りを台無しにするので、それを引き起こす入道雲は嫌いになっていった。少年時代も終わり虫取りもしなくなると思春期に入り、もう入道雲はどうとも思わなくなっていった。 ところがここ十数年私は一転して入道雲が不思議に焦がれるほど好きになった。いわゆるゲリラ豪雨や熾烈な災害をもたらすスーパーセル(巨大積乱雲)ではなく、日本サイズというか、夏の日の締めくくりの夕立をもたらす程度の入道雲が私の好む積乱雲である。しばらく窓から眺めていると、雲は秒単位で形を変え、太陽の光を真っ向から受けた先端部分は限りなく白く輝く。その白さは色彩図鑑の白の定義をはるか超越した、マグネシウムが燃焼するときの閃光のような白で、破格の光量を浴びせてくる太陽に堂々と立ち向かう勇者の横顔のようだ。見ている者のしぼんだ心を叱咤激励してくれる。あの強烈に白く輝く先端には、どんな世界があるのだろう? 別の宇宙空間への入り口があるのかも知れないと思うほど神秘なインターフェースだ。その場に立ってみたい気もするが、厳かすぎて恐れ多い。 今日の診療では、高齢者に交じって数人の真っ黒に日焼けした元気な十代の子がいて、その張りのあるきれいな腕にワクチンを打った。施注しながら何故かその子らからすごく貴重なエネルギーをもらったような気がした。こんな毎日の中で自分の中で若さがすっかりしぼみかけていたから、成長盛りのはち切れんばかりの無邪気な元気や勢いに激励してもらったのかも知れない。入道雲を見た時と似ている爽快感を覚えた。 とにかくCOVID-19 のパンデミックで社会も人の心も狭い容器の中で真空密閉されたような閉塞感が支配する日々の中で、こうした底抜けに力強くプラスのエネルギーを感じる瞬間がある。ムクムクと上昇するエネルギッシュで白く巨大な入道雲の痛快さが、少し老いて元気のない今の自分には一番のリバイタライザー(元気や生気を復活させるもの)なのかも知れない。早くこの夏の風物詩である入道雲を、リバイタライザーとしてではなく自然界の荘厳な一現象として、普通に見られる日が来ると良いとつくづく思う。フェイスマスクなど取り去って、普通に語り合ったり笑い合ったりして、夏の祭りや花火を集って楽しめる日が来ると良いと心から願う。 (真夏日の診療の後で。2022年8月)
2022-11-24 22:25:42
院長エッセイ