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緑への思いと冬の花火

緑への思いと冬の花火

緑への思いと冬の花火
 1年の中で5月が最も好きな理由の一番は視覚的な理由で、屋外に出たなりに私を包む景色の大半を占める色、それが緑色(Green)で、それこそ自分が最も愛する色だからである。しかし、緑にも様々あって、季節毎に少しずつ変遷していくのは実に風情がある。生まれてからこのかた数十年も緑の色とひとくくりにして、その微妙なバリエーションを漫然と感受してきたが、スマホで色を判別できるアプリを見つけてからというもの、景色を撮りまくっては色の判別に興じている。
今年の5月1日は日曜日だったので、春の山里に愛車を駆って出かけた記録がPCの写真アルバムに残っている。小鍋の善光寺温泉跡を右手に見て葛山落合神社や御射山神社を経由して県道戸隠線に合流するルートが私のお気に入りのドライブコースで、そこからりんご畑越しに佇むひとかたまりの山村と、遠くに抱(いだ)くように連なる山々が私の最愛の心象風景に近いものだと思っている。自分の心が疲れ切っている時にいつも訪れる場所で、礫岩(れきがん)のように固化しかけた魂がホイップクリームのレベルまで甘く溶けてリラックスする。その日の山肌の景色はまるでパッチワークのようで、常緑樹の“ボトルグリーン”(ごく暗い緑)をバックに、各所で背伸びするように若葉の“萌黄色”(もえぎ:明るい黄緑)、“シーグリーン”(つよい黄緑)、さらには“抹茶色”(やわらかい黄緑)がそれぞれ自己主張していた。植林された常緑樹の山林はモノトーンで色の統一性があるので、整然と清涼で心を浄化するようなある種きりりとした風圧を送ってくる。しかし今日の景色のように広葉樹の若葉たちがそれぞれの種や個体を伸びやかに主張して、それぞれの異なる緑で自己表現するパッチワークは、気持ちを前向きにしてくれるし、見ているだけで心がウキウキ引き込まれる陰圧を感ずる。
5月後半の緑たちも実に潤しい。若葉は成長し葉の密度が増して、“アイビーグリーン”(暗い黄緑)、“リーフグリーン”(強い黄緑)、“オリーブグリーン”(暗い灰みの黄緑)が主流となる。そしてこの頃の空は、晴れていると”つゆくさ色“(あざやかな青)であることが多く、緑との相性は私の中では随一だと思う。この時期の昼下がりに大座法師池を散策すると、手前に鏡のような湖水、対岸にアイビーグリーンの林、その上に銀白の積雲が連なり、中でも勢いがいいのは入道雲のなりかけている。そこからつゆくさ色の青空を挟んで絵筆でピンとはじいたような上層雲の巻雲がアクセントとなる。その日の雲の物語のあとがきを表しているように見えるフォトもアルバムに記録されている。こうした景色を前に、私は大きく長い息を吐いて、その倍の量のフィトンチッド(リフレッシュ効果などの森林浴効果をもたらす森林のかおり)を含んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだと思う。
 こうして5月の緑を思い、文章をしたためている今、外では雨の中えびす講の花火が上がっている。そう、今日は勤労感謝の休日で3年ぶりの花火大会だ。先ほど傘をさしてさわりの部分を短時間だけ鑑賞してきた。巧みを懲らした見事な花火だったが、空は涙をポタポタ落として泣いている。軽症化してきたとは言えCOVID-19 が第8波に突入して、マスコミは花火の中継と並行して患者罹患数が増えた増えたと不安を拡散している。世界では、わがままなろくでなしの独裁者たちが、勝手放題、悲劇的なカタストロフィーに人々を巻き込もうとしている。こんな世界情勢や心理背景で雨が降りしきる中の花火を観るのは重すぎる。かつては隣人を誘いおでんを炊きながら花火を楽しんだわが家の前の道路は冷たく黒く濡れていて誰も居ない。だから私はiPodのノイズキャンセリングを作働させて、J.S.バッハの無伴奏チェロを聞きながらこれを書いている。5月の緑と無伴奏は温ったかご飯とビスケット位に合わないけれど、自分の中の心模様、そうちょっとしたカオスを表しているようだ。
 と、妻が花火の終焉を一緒に見ようと誘った。渋々ダウンジャケットを羽織りニットの帽子を被って外に出てみた。雨はいつしか上がり、夜空一面をビタミンカラーの花火が覆い尽くしていた。従来の祭り心を煽るようなたたみかけのスターマインはなく、一つ一つ噛みしめるように丁寧なアートを空に打ち上げ、その間隔が次第に狭まったと思ったら、ふいに低い位置に横長の花壇に咲く背のそろったガーベラのような花火が一斉に花開き、一呼吸置いてその上空をノスタルジックなモノトーンの数え切れない程たくさんの大輪が埋め尽くした。花火師たちの「精一杯頑張ろう」と言う、込められたメッセージを強く感じた。久しぶりに見た空いっぱいの元気だった。自虐的に無伴奏を聞いていた私のねじれた気持ちは払い腰で見事に払われて、前向きな意欲が頭をもたげた。さあ、来年の5月の緑がより気持ちよく味わえるようにと心に念じながらこの文章を終わろう。
(2022年11月23日 えびす講花火の夜)
 

2022-11-24 22:27:22

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