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長野市稲里町田牧 の 脳神経外科・神経内科 脳とからだの くらしまクリニック

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諏訪とわたし

諏訪とわたし

諏訪とわたし
 諏訪湖の対岸の西の山に太陽がうすづき(春き)、少し毛羽立ったような厳冬の暗い水面に一筋の輝く光の廊下ができた。ダージリンを飲みながら足を投げ出して、なじみの宿の窓からぼんやりと眺める。やがて陽は隠れ、それでも余韻を残すようにあたりはしばらく闇から逃れていた。窓越しに体が急に冷えてきた気がして温泉に入ることにした。いつもはシャワーで済ましてあまり湯船に漬かる習慣がない私にしては、ずいぶんの長湯をした。暮れなずむ諏訪湖の景色を見ながら日常の疲労と緊張を溶かすように湯船に身を預けた。上気して風呂から上がった頃には、湖は空のランプブラック*と区別がつかなくなり、この二つを分けるように対岸の街並みの灯りが瞬いた。普段では考えられないようなゆったりした時間が訪れては去って行く。[*:ランプについた煤のような黒]
 何年か前から正月はこの定宿で過ごすことにしている。普段読む間がない趣味の本を読んだり、温泉に漬かったり、ぼんやりしたり微睡んだりするが、テレビは一切観ないし、観光もしないというポリシーは守り続けている。家にいると年賀状の心配やら、初詣の算段やらで、結局休んだ気がしないまま、夜はおめでたいテレビ番組に時間は費やされ、貴重な休暇がベルトコンベアの上に載った品物のように流れ去ってしまう。だから少々贅沢でも正月は温泉宿で過ごすとに決めた。この時期の諏訪湖は特別目立ったアトラクションもないし、都会人が好むような洗練された遊興施設もない。白鳥の形をした平凡な遊覧船と足こぎボートが寂しそうに繋留されている程度である。とりわけ惹きつけられる祭事もなければ見所もない。だから寒々とした湖面を眺めながら、自分たちだけの珠玉の時間を手繰ることができる。
 諏訪は私が大学時代に車の免許を取ってから両親と姉を連れて訪れたのが最初で、諏訪大社でお参りをしたり、名物の塩羊羹や大社せんべいを買って帰るデイトリップを何回かした記憶がある。長野県は南北に長く、文化圏が北部、中部、南部で異なっているので、県内を旅行するだけでも新鮮な旅行気分を味わえる。諏訪市はちょうどよい距離にあったこともあるが、私の実家の所在地が長野市の新諏訪町と言う町名であったので、なじみやすかったのかもしれない。新諏訪町の鎮守は諏訪神社と言い、後から知ったことだが御祭神は諏訪大社と同じ建御名方命(たけみなかたのみこと)であった。思えば初めて大学進学で新潟市を訪れた際に、新潟に着いたら頼っていくようにと知人から紹介された方も、訪ねてみると医学部のある旭町通に鎮座する「(寄居」諏訪神社」の宮司さんであった。その神社の御祭神も言わずもがな建御名方命であった。大学時代に知り合って結婚に至った妻の母の生家は、新潟県柏崎市の諏訪町という地名にあった。ただこの町名の由来はよくわからない。そして月日は流れ、土地選びに数年の歳月と苦労を要した現在のクリニックの開業地は廣田神社のお膝元で、この神社の御祭神も建御名方命であった。博学な患者さんが、長野県内の神社の祭神は武田信玄の命で建御名方命を主神に変更させられたケースが圧倒的に多いのだと教えてくださったが、武田信玄とは敵対していた上杉謙信のお膝元新潟でも自分と「諏訪」との結びつきがあったことを思うと、もう自分は諏訪大社や建御名方命を崇めるのは必然の気がしてきた。そんなわけで正月の束の間の安息を、「素(す)」で過ごす場所として諏訪を選んだ経緯がある。
 宿をチェックアウトしてから諏訪大社上社に詣でた。COVID-19 がパンデミックになって3回目の正月で人々も分散参拝に慣れたのか、思ったほどの人手ではなかったが、過去2年に比べたら大分賑やかにはなってきていた。私たちは参拝を済ますと毎年定位置に陣取るだるま屋の露天商で2つのだるまを購入した。値切り交渉はあまり得意な方ではないが、「もう少し安くならない?」と言ってみたら500円まけてくれた。あっさりその言い値でオーケーしたら、がたいのいいお兄さんは「ありがとう、2つも買ってくれたから・・・」と礼を言って、干支の根付けを記念にくれた。彼の雰囲気からはとても想像つかないような可愛らしいウサギの根付けであった。ウサギと言えば建御名方命の御尊父さまが「因幡の白ウサギ」の有名な逸話を残している大国主命である。ひょっとするとあのがたいのいいだるま売りのお兄さんは建御名方命の遠い遠い末裔なのかもしれない。大社せんべいと塩羊羹を土産に購入して、私たちは家路にについた。こうして今年も、縁のある諏訪の地、建御名方命のお膝元で、束の間の尊いやすらぎの時間を授かり、今年1年のための初回充電を完了させた。年々充電がすぐ切れてしまうようになって来て、魂のバッテリー性能が低下しているのかもしれない。しかし魂はすなわち神経活動。神経は生まれてこの方同一の細胞が生涯を共にして、余裕で120年間の寿命を持つと脳化学では言われている。つまり性能が落ちているのではなく、性能を保つメンテナンスの術が悪いのかもしれない。確かに魂を磨くことを、いや、磨く術を忘れかけているような気がする。(2023年正月)
 

2023-02-05 18:34:58

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