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誕生日 令和5年の師走は初旬から中旬にかけて最高気温が15度を超える日が何日か続き、自分が生まれてこの方人生の大半でイメージしてきた師走とは異なる冬の日が連続した。しかし下旬になるとようやく冬らしさを感ずるようになった。大晦日が当番医と言うこともあり通常診療を早々27日で閉じてしまったせいか、年末独特の「年の瀬」感がないまま24時間区切りの日々が繰り返して、あっさり新年を迎えた。昭和の時代を30年余も生きた人間にとってはなんとも味気ない年越しだが、時代とともにパラダイムも大きくシフトしてきて、昔に固執し過ぎるとどこかに歪みが生じて結局自分が無駄な苦労を背負い込んでしまうことが多いことがようやくわかってきた。乗れるときはできるだけ時代の波に乗る方がよいのだろう。だからおせち料理はお気に入りのフレンチレストランに任せきりで、生前母がこだわって一家総出で買い出しに出かけた新巻鮭をはじめとした縁起物の各種料理は 大半スキップすることにした。 年が明けていつもと変わらず仏壇の水と飯のお供えをしてお参りをした。もう習慣になっている。特に自分は信心深いわけではないけれど、洋風の家具調仏壇を居間に据えたものだから必然存在感があり、お参りが日課になるのに難しい理由は要しなかった。父は生家を継がなかったので、わが家の仏壇は当初両親の位牌だけだったが、父の代わりに家を継いだ気丈な叔母は、年老いて認知障害が生じたため私たちが支援することになった。しかしあっけなく最後は脳卒中で他界した。父の生家の仏壇終いの際に、ご先祖様の位牌は過去帳に変わってわが家の仏壇に一緒に祀ることになった。父は総勢6人の兄弟姉妹だったので、祖父母も併せると一挙に八尊の仏様が増えた。自分の両親を含めて十尊の仏様のうち私が知っているのは五尊のみで、あとは戒名と命日しかわからない方ばかりである。幼女のうちに他界した二人は赤痢などの伝染性疾患、20歳代で他界した二人は結核で亡くなったと聞いている。私の誕生をこよなく喜び愛でてくれた祖父は私が4歳の時交通事故で突然他界し、祖母と叔母と私の父のみが90歳代までの寿命を授かった。祖母は生前毎月夫の月命日には必ず庵主さんに訪問してもらって、読経後に食事を振る舞っていた。幼子を二人も伝染病で亡くしていたせいか祖母は生ものを一切口にしなかったし、厳格なベジタリアンでもあった。今風に言えばビーガンである。庵主さんの来られる日にはたいてい私の母に召集がかかり、母はひたすら野菜の天ぷらを揚げていた。母は喘息持ちで病気がちだったが、油酔いしながらも嫁の勤めと毎月頑張っていた。夜には仕事を終えた父や伯母も加わり食事を共にした。こうして月命日には生きし家族がみな集まり食卓を囲むのが明治、大正、昭和のしきたりだったのだかもしれない。何だか一族の絆を計る会食の場であった記憶がある。 十尊の仏様をかかえる私はと言えば、仕事がら月命日はおろか祥月命日ですら休みが取れないので、購入したふりがな付きの般若心経を僧侶に代わって読経し、お供えと言っても多くは自分の食べたいものが多いので寿司だったりステーキだったりピザだったりと、祖母に叱咤されそうなものを供える程度である。何年もこれをやっているうちに般若心経は空で唱えることができるようになったし、会ったこともない仏さまの戒名と命日も自然と頭に入ってきた。当家の菩提寺の住職は本当に戒名のセンスがよく、多少誇張しているとは言えその仏様の生前の生き様をよく表現した戒名を付けてくださった。気象台に勤務していたという叔父など、「雲を耕し行くべき道を求める泉や嶽(山岳)を愛した男子」と言う表現が入っていて、会ったこともないが彼の人物像が容易に想像できた。 しかし、過去帳には亡くなった日付しか記されていないので、何度も目にしていると「こんなうららかな桜咲く春の季節に・・・」とか「スイカを食べたりホタルを追いかけて楽しめたはずの夏の日に幼くして・・・・」とか、限りなく切ない思いが募ってきてしまった。位牌は墓石のミニチュア版のようなある意味硬くて厳格なイメージがあるが、過去帳は僧侶が手書きで記した一族の家族史のようで、会ったこともない遠い先祖様との交信ができる気がする。だが家族史としては没年のみでは悲しすぎるので、出生や婚姻などのめでたい年月日も是非とも必要とここ何年も感じていた。思いがけずぼやーっと過ごす年末年始だったので、ようやくそれを実行すべく以前何かの手続きに使用した戸籍謄本を引っ張り出して来て、各仏様の出生や婚姻入籍月日まで調べた。そしてそれぞれの没年月日の下にHBの鉛筆で誕生年月日を書き入れた。ちなみに私の両親の入籍日は12月、祖父母は1月であったことがわかり、長子の誕生日と合わせて考えると間髪なく子を授かる生きし日々の仏様たちのパッション(情熱)を感じられて思わずほくそ笑んでしまった。 正月早々今年も辛く悲しい天災と人災で幕を開けることになったが、報道を観るにつれ同情を通り越して悲しみばかりが募って来てしまった。仏壇の向こうの異次元におられる仏様たちはどのように俯瞰されているのであろう。自分も確実に人生の後半に位置していることを実感するものの、まだまだ世のために出来る貢献があるはずだと襟を正して、明日のお参りはきちんとその意思を仏壇の十尊の仏様方にお伝えしようと感じた。不幸にも命を落とされた方々に心から哀悼の意を表したい。ご冥福をお祈りします。合掌。(2024年 1月)
2024-01-25 23:09:28
院長エッセイ