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院長エッセイ

長野市稲里町田牧 の 脳神経外科・神経内科 脳とからだの くらしまクリニック

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スタッフ募集

時の流れ

時の流れ

時の流れ
 鬱蒼とした森の木立の中をさほど広くない道が緩やかなカーブを描き、左右には苔むした広大な庭を擁した別荘が建ち並んでいる。高級車が駐まって洒落た室内灯が点った家もあるし、暫く家主が訪問していないであろう雨戸が閉ざされた邸宅もある。十数メートル離れたどこかの木立でミンミンゼミが高々と声を上げている。オニヤンマが闊歩するように道を横切り、1年ぶりくらいで見た気がして「やあ」と思わず声をかけてしまった。昨日は仕事場にこもりきりで屋内を行き来しただけだったので、今日は旧軽井沢の町中まで徒歩で行こうとホテルを後にしたが、歩き出して数十メートルのところで別荘を改装したと思われるこじゃれたベーカリーが眼に入り、さっそく立ち寄って早々の休憩を取った。ソフトクリームやコーヒーもテイクアウトでき、店の前にお洒落なベンチや椅子が置いてあったので、私たちは腰掛けて牛乳味の濃い上品なソフトクリームを平らげた。そこから十数分ぶらぶらと歩いて、多くの人々が行き交う旧軽井沢メインストリートの店を冷やかした。明らかに日本人とは異なる言い回しの夫婦が出している木彫りの露店に、シェルティーのWelcome boardが売っていたので買い求めた。シェルティーのグッズを扱っている店舗が少ないとぼやくと、店主は独特のイントネーションで自分も数年前までシェルティーを飼っていたからだと話してくれた。
 そもそもこの軽井沢のホテルを予約したのは一昨日で、自分たちなりにつらくて消沈する出来事が重なって、仕事の疲れもかなり蓄積していたのでほんの束の間でも旅をしたい気分になったからだ。突然の宿探しは直前のキャンセル案件が混じるので、棚ぼた的な良い宿に巡り会うことがある。このホテルも広大な森の中にある老舗ホテルで、立地は満点に近い。エアコンは要らないくらいに涼しいので網戸にすると、日暮れには窓の外でカナカナゼミが鳴き、遠くでカラスがジャイアンみたいな声を一つ二つあげただけであとはすっきりした静寂だ。けっして喧噪の中で生きているわけではないが、この澄んだ静寂と森が擁する空気は、身も心も清浄化してくれているように思う。
大学卒後40周年の同窓会がCOVID-19 パンデミックのせいで一年延期になり、今年ようやく開かれたので新潟市まで出向いて出席してきた。55人ほどの出席者であったが、学生時代の面影からは大きく離れ、バリバリのスポーツマンだった者が闘病していたり、車好きで趣味が合っていた友人が人生の難題に直面して「もう車が好きな時代は過ぎた」と冷めたつぶやきをしていたり、既にこの世を去った学友も何人もいることを知り、時の経過を実感した。私は一人一言の挨拶で、アメリカの物理学者のマックス・テグマークの唱えた「ブロック宇宙論」のことを話した。つまり時間の経過という物は人間が記憶という形で「今」を残すから存在するのであって、実際には物質配置の異なる「無数の現在」が存在するだけで「時間は存在しない」と。つまり時の流れは人の創り出した幻想であり、この幻想こそ人間の最も優れた部分であるので、「みんないつまでも脳が健全であれ」との願いを込めたメッセージのつもりだったが、案の定全く受けなかった。元々人つきあいのよい方ではなく、どちらかと言うとクラスでは浮いていた存在だったのでさほど落胆はしなかったが、自分の挨拶の下手さ加減と空気の読み方の悪さを再確認した形だった。とにかく自分を含めいつまでも健康で健全であれと祈るように会場を後にした。
 私が心身ともに疲れてこのホテルに逃げ込んだ一番の理由は「時の流れ」の負の面をたくさん確認し過ぎたせいかもしれない。同級会の一件はもちろんだが、連日診療では「時」を失いかけている認知症の患者さんを多く診ている。刻々と記憶も人格もその人の本質も消失して時の経過の果てに大きく変化した悲しい「現在」を診察と画像とで確認する日々。決定的な治療薬もなく必要最低限の対症療法で見守るしかなく、落胆の繰り返しである。診療所を開設して十年を過ぎるとそうした変化を呈する患者さんが目立ってくる。自分もいい年になってきたしいつ同じような変化が始まるかわからないロシアンルーレットに組み入れられていることは確かである。人が生きていくと言うことはベル・カーブ(bell curve: 教会の鐘のシルエットのように上昇・頂点・そして下降がある曲線)で、生きている限りは下降を受け入れなくてはならない。その下降の恐怖と不安と寂寞に打ち勝つ強い自分であれと願うが、その方法が見つからない。
 軽井沢の静かな夜が更けていく。コーヒーカップを片手にハッブル宇宙望遠鏡から捉えた美しい写真集を見開き、目を見張る美しい宇宙の営みを眺める。中でも心を奪われたのは、地球から2万光年離れた「一角獣座V838」だ。2002年に突然明るくなった特異変光星の5月から12月までの変化を追った4枚の写真だ。あたかも爆発して塵の雲が外へ広がっていくように見えるが、実際は中心から強い光が放たれて近くの塵から外側の塵へと7ヶ月もかけて光が到達して照らし出している様子だという。「光の旅の様」を見ているわけだ。光の速度が秒速30万kmとして、光が1年かかって届く距離が9兆4600万km。つまり1光年。そう、この写真集のほとんどは人間の尺度では考えも及ばぬ途方もなく遠い空間から、途方もない時間をかけて届いた遠い昔の姿である。私たちはこの壮大な宇宙空間から比べたら限りなくゼロに近い小さな存在であるが、それぞれの人生は多様で宇宙に匹敵するほどの思いや記憶、想像や創造、感情や理性を持っている。この無限とも思える宇宙を少しずつ解き明かし、観察もしている。人をむしばむ病や加齢についても真剣に研究している。捨てたものではない小さな生物。捨てたものではない人の一生。だから磨き続けようと思う。今のこの歳で今の自分に出来るやり方で。
たった一夜の軽井沢泊であったが、だいじな夜となった気がした。(2024年8月)
 

2024-08-18 22:17:27

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