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長野市稲里町田牧 の 脳神経外科・神経内科 脳とからだの くらしまクリニック

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六月の思い込み(旅情編 その1)

六月の思い込み(旅情編 その1)

六月の思い込み(旅情編 その1)
 五月を彩った木々の心浮き立つ明るい緑たちは、梅雨を迎えて潤んだそれに落ち着き、薄曇りのぼやけた景色に安定感をもたらしている。毎年この時期に訪れるなじみのホテルのバルコニーで、遠く斑尾山とその右手に野尻湖を臨む。空と緑の比は4対6で、緑の森の中には小さな街が点在している。夏のゲレンデは緑の絨毯を広く敷きつめたようで、うっそうとした森林が覆いかぶさる景色よりは遙かに開放感があり気持ちが外向きになれる。日々の生活で縒れた(よれた)心の皺が少しずつ伸ばされていく。この景色を眺めながら気の済むまで滞在できればといつも思う。しかしけっきょくは翌日になると後ろ髪を引かれながらも荷物をパックして、少しだけ皺が伸びた心を胸にこの場所を後にする。
 予測から逸脱することが少ないスケジュールで毎日が繰り返され、登場人物は違えど類似したドラマが毎日展開していく。60歳代も後半になると日々に安定を求め冒険をしなくなる。たぶん心の底では飽き飽きしている自分がいるのはわかっているが、リズムが一定で所作も変えずに済むから楽なので、それに甘んじている気がする。ヒトは様々な事象や場面に遭遇した時、大脳皮質をフル稼動して対応するが、何度も同じ経験をしていると大脳皮質よりは進化的に古い脳領域である大脳基底核や小脳を使って対応するようになると言われている。大脳基底核は動きの必要・不必要を判断し、小脳はパターンをモデル化して記憶し、運動の命令がきちんと実行されているかをチェックしてズレがあれば修正するらしい。だからあまり意識しなくても一連のパターン化した事象に対応できるようになって行く。そうして生きていくのは効率的で、ある意味平穏な日々の証なのかも知れない。そんな平凡で平坦で、ある意味とても平和な日々が続いている。それでも心に毎日刻まれていく心の縒れ(よれ)は何なのだろう。
 大分冷めてしまったコーヒーをゆっくりと飲み干し、テラスから雪のないスキーゲレンデを臨む。この景色も12月ともなれば一面の白に変わるのだろう。眼を閉じると銀世界のシーンが脳裏に広がる。幼い子供の頃から冬になるとスキーやそり遊びに明け暮れていた。物心ついてからも、大学に入ってからもスキーには特別の思い入れがあって、雪が降ってくると居ても立ってもいられない自分があった時期を思い出す。スキー経験のない妻を連れて来て、スキーをやみつきにさせたのもこの場所であった。仕事に就いてからも拘束番でない冬の日はしばしばスキーに出かけていた。100km前後の距離なら仕事終わりに車でひょいと出かけてナイタースキーも楽しんだ。あの頃はエネルギッシュで、ストレスにもプレッシャーにもタフな自分がいた。中年を過ぎ小さな怪我が度重なって膝を傷めてから、結局スキーから遠ざかってしまった。
 診療所を開設した頃から診ていた軽度認知障害のご婦人がいる。夫が妻想いのよく出来た方で、旅行や遊興にできるだけ従来と変わらずご婦人を連れ出しておられた。冬になると80歳も近いのにご夫婦でスキーに出かけるとのことで、おそらくお二人でこよなくスキーを楽しまれた過去を引き継いでいるのだろうことはスキー世代の私には痛いほどわかった。しかし10年近い診療経過の中で、ご婦人の認知機能は次第に悪化し、転倒による骨折を負ったことが拍車をかけて、ついには施設入所されることになった。何とかお二人の生活が変わらぬままで維持できるよう努力したつもりであるが、疾患がもたらすアクセル全開の退行にはブレーキがかからなかった。彼女は彼女らしさの大半を引き剥がされて、夫の腕の中から施設の介護の枠の中へと身を移すこととなった。二度とスキーを履くことのない彼女を想い、施設入所診断書にサインするペンが鉛で出来ているかのように重く感じた。
 私たち夫婦も意に反してスキーを卒業してしまった今、テラスから雪のないゲレンデを眺めながら、初夏の潤んだ緑の絨毯の方が今の自分たちには合っていると感じている。いや、思い込もうとしているのかも知れない。まだ人生を語るほど年配にはなっていないが、それでもたくさんの物を失ってきた気がする。その喪失感が心の皺の最たる原因かも知れないが、逆にここまで生きてこれたからこそ得られた熟成と達成もある。こうして豊かな時を心地よい環境で堪能できるのもその一つの例かも知れない。泣くから悲しいのか、悲しいから泣くのかという真剣な論争が脳科学分野にはあり、情動と感情は区別されている。今の自分たちを若さとエネルギーを失って萎えていくと捉えるか、様々を経験して最小限のエネルギーと洗練されたスキルでゆとりのある時間を過ごせるようになったと捉えるかは人それぞれであるが、私は後者で過ごしていきたい。笑ったり微笑んだり、感動したときはブラボー!と声を張り上げれば、おのずと幸福な気分が開けるかも知れない。そしてこれまでの生き方の知恵を携えて飽くなき新たな経験を積んでいければなおよいと思う。湿った梅雨の風に吹かれてコーヒーを1杯飲む間の思い込みとその結論だった。(2024年6月 定宿のホテルのバルコニーにて)
 

2025-02-02 23:03:44

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