〒381-2214 長野県長野市稲里町田牧1310-5
年の瀬の回想(旅情編 その2) 風が見える。湾内は凪(なぎ)で、その静かで平坦な海面を帯状の細かいストライプのさざなみが走る。まるで書家が太い筆で大胆に走らせる一筆のように美しい曲線だ。海でも風の通り道が見えるものなのだと、新鮮な驚きが少し澱んでいた私の心を浄化した。20年近く日本海に程近い場所に住んでいたから、海の水面(みなも)を見る機会は数え切れないほどあった。しかしこうしてゆったりと俯瞰して水面を眺めることはあまりなかったように思う。年の瀬の穏やかな太平洋(パシフィック)を臨む下田の宿。おそらく前身は海の家だったのだろうか、ほんの波打ち際まで敷地があり、ビーチはまさにプライベートそのもの。断崖に張り付く形で4階建てのおしゃれな建物があり、屋上が国道と同じレベルでエントランスとなっている。部屋には個別の広いバルコニーがあり、フェンスがない代わりに一面の厚いガラス張りで、景色を遮る物はなく海が一望できる。人気の宿らしく半年以上前にネットで予約しようとしたらキャンセル待ちになったので、ウェイティングリストに登録しておいたら11月になってキャンセルが出て幸運にも一晩予約が取れた。長野からは遠くて少々贅沢な宿ではあるが、今年も様々の障害を乗り越えて頑張った自分たちへのご褒美にと宿泊を決めた。大晦日の前日をパシフィックを眺めながら過ごすなど人生初めての経験だ。 子供の頃は年の瀬と言えば慌ただしく正月に向けて家族総動員で準備を進めたものだった。母は姉と私を連れておせち料理の買い出しに行く。当時権堂に「ニシナ」、長野駅近くに「魚力」という大手の食品店があり、近かったせいもありわが家は前者へ買い出しに行くことが多かった。手頃で上質な新巻鮭を品定めしてまるごと一匹購入するのが買い出しのメインイベントであった。みかんは木箱で購入した。重いので、これは父の役割で自転車の荷台にくくりつけて持ち帰って来たものだ。大晦日には全員で大掃除をして夕方前には風呂に入る。そして紅白歌合戦が始まるまでに全て準備を整えて、家族全員で「お年取り」をするのがわが家の恒例であった。おそらくわが家だけではなく昭和の時代にはこれが普通だったように思う。 クリスマス、冬休み、そして正月と、1年の中でも最も濃厚に楽しいイベントが目白押しのこの時期、私はきまって胃腸を悪くして寝込んだ。クリスマスに親の目を盗んで赤玉ポートワインを飲み過ぎたり、バタークリームのクリスマスケーキを食べ過ぎたせいかはわからぬが、毎年決まって胃腸を悪くした。粥の嫌いな私はジュースしか受け入れず、しまいにはそのジュースすら戻してしまうありさまで何も食べれなくなった私に母は四苦八苦していた。ある時新巻鮭のアラと大根、ニンジン、ジャガイモを酒粕で煮込んだアラ汁を作ってくれた。これが的中して私の食欲は回復を始め、無事に正月三が日の雑煮やぜんざいを普通に平らげ、家族みんなでこたつに当たって花札の坊主めくりやミカン釣りなどのゲームに興じることもできるようになった。今考えると周期性嘔吐症だったのかもしれない。それにしても病気で食欲がなかった私が、癖の強い粕汁でどうして復活したのかは今でもわからない。現代のように栄養を考慮したゼリー食や補水液もない時代、母の苦肉の策は医学的常識を大きく超えたものだったのかもしれない。 湾の対岸には闇の中に数個の宿の灯りが点在し、年末で漁も休みなのか海上に漁り火はなく海は総じて闇の中。宿の演出でビーチを照らす照明があるが、それの届く範囲でかすかに白いリップ(波の先端部分)だけが浮かんで見えた。波の音だけが絶え間なくリフレインを繰り返し、太平洋がそこにあることを主張している。空は澄んで一面の星空を望めた。海辺で見る星空だ。長野で観る星と科学的には大して差はないはずだが、南十字星が見えそうな錯覚となるのは何故だろう。年を取ったせいとCOVID-19 パンデミックで行動範囲が極端に減少し、今の私たちには長野と下田の距離が若い頃の日本とオーストラリアに匹敵するのかもしれない。冬期は地球の位置が銀河の中心とは対側にいるため天の川は残念ながら臨めないが、無数の恒星たちが夜空を埋め尽くし、その背後には2兆個を超えるだろう銀河が控えている。他界した父や母や大切な人々が、伝説のように星になっているとしたらどの星なのだろう。ハッブルやジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡でなければ見えないはるか途方もなく遠い銀河の星になっているのだろうか。炬燵を囲んで足が触れあいながら年の瀬と正月を楽しく過ごした両親が、人の一生分の年月を光速で移動しても到底届かないような遠くに行ったとは思えないので、素粒子のように目に見えない粒子となって、私たちの下田旅行に同行していると思いたい。逝ってしまった尊き愛すべき人たちに想いを馳せて2024年の年の瀬の夜は太平洋の波間に溶け込んで行った。翌朝はびっくりするほど新鮮で珍しい魚の料理がテーブルに並んで堪能したことを書き添えておこう。 (2024年年の瀬 下田にて)
2025-02-02 23:05:24
院長エッセイ